小津安二郎監督・生誕110年、没後50年記念寄稿 山内静夫

その日の、あの真っ赤な夕焼の空を、私は忘れない。1963年(昭和38年)12月12日の夕焼の空である。

わが恩師、小津安二郎先生の亡くなった日である。前日既にそのことはほぼ確定的な事実としてお身内は勿論、生前親しくさせて頂いた先生の映画製作の主立った人たちは知っていたし、どうすることも出来ない、もう先生のために何をしてあげることもないという時間の空しい流れの中に、ただ居た……。先生のおられる御茶ノ水の東京医科歯科大学の病院から程近い、神田明神下の料亭新開花に、私たちはいた。そこの当主清水富二さんは小津映画の製作担当者、そしてもう一人、小津映画の戦前から続いているキャメラマン厚田雄春さんと私の三人は、お帳場のこたつを囲んで、ただ酒を呑んでいた。待ってはならないことを待っている切なさ──。

翌朝も又、見事な朝焼けの太陽が昇ってきた。そして昼の12時40分死去。

この日は小津安二郎、60歳の誕生日、還暦の日である。きっちり60年の生涯、見事としか言いようがない。

冬の陽は早い。御遺体を乗せた車が東京を発つ時、既に完全に陽は落ちていた。私は御遺体の車に乗せて頂いて北鎌倉のご自宅までお供した。

約10年間、お元気だった先生と一緒に東京で呑んでは同乗させて頂いて鎌倉へ帰った、最後の鎌倉までの同乗となった。

ご自宅前の小さなトンネルも闇に沈んでいた。

今年の12月12日は、丁度50年目である。

私は先生が亡くなられてから50年、半世紀を生きてしまったのである。

山内静夫さん

山内静夫(やまのうち・しずお)

1925年、作家・里見弴の四男として鎌倉に生まれる。1946年、慶應義塾大学を卒業、松竹株式会社に入社。1956年の小津安二郎監督作品「早春」より小津組プロデューサーとなる。1978年、松竹株式会社取締役に就任。1992年、鎌倉ケーブルテレビコミュニケーションズ代表取締役社長。2004年から 2012年まで鎌倉文学館館長。2006年から2012年まで鎌倉市芸術文化振興財団理事長。現在、鎌倉同人会理事長。著書に『松竹大船撮影所覚え書』『八十年の散歩』など。

ページの先頭へ