武家の古都・鎌倉の歩き方(巻頭インタビュー)鎌倉がなければ、ぼくは存在していない 第四回 中井貴一さん

2012年のドラマ『最後から二番目の恋』で中井貴一さんは、鎌倉市役所観光推進課課長を演じました。鎌倉を舞台に小泉今日子さんとのダブル主演で描くコミカルな大人の恋愛ドラマは幅広い世代に人気を集め、同年秋にはスペシャル版が決定。その放映を前に、鎌倉市国際親善観光大使に就任されました。さっそく取材にうかがった編集部に中井さんが話してくださった鎌倉と中井さんのつながりは、予想を超えて遥かに深く感動的なものでした!

鎌倉はぼくのルーツなんですよ

鎌倉市国際親善観光大使に就任された経緯など教えてください。

『最後から二番目の恋』というドラマが、多くの方に支持していただいたことがきっかけだと思います。最初にぼくたちが極楽寺の駅にロケで伺ったときと比べて、ドラマの後半では「ここ、こんなに人が多かったっけ?」というぐらいすごい人数の変化がありました。ロケを見に来てくださっている方の反応が次第に変わって来るのを実感できる現場でした。20代前半向けのドラマが多い中、これは「40代、50代に向けた青春もの」のような作品で、その年齢の方に鎌倉が好きな方が多いというのも一致したんじゃないかと思います。「この週末も鎌倉に行きます」みたいなお手紙をたくさんいただきました。

ロケを見に鎌倉に来た人もいたでしょうから、観光にもずいぶん貢献されたわけですね!

観光に貢献できたかはわかりませんが、秋のスペシャルの時にプロデューサーから「実は鎌倉市から観光大使のお話をいただいています」と言われました。ぼくたちはロケをやる時に撮影のために通行を待ってもらったり、撮影が深夜にまで及んだりなど、ご迷惑をおかけすることが多々あるので「何か鎌倉のためにお手伝いできるようなことがあれば」と思い、お話をいただいた時に「ぼくたちで出来ることがあれば」とお引き受けしました。

正直、その時は何ができるのかわかりませんでしたが、ドラマをやっていると必然的に、鎌倉を紹介することにもなりますので「“観光推進課”としては引き受けたほうがいいんじゃないか」と(笑)。

中井貴一さん

ドラマの設定がまさに鎌倉市役所観光推進課の課長さんでしたものね。ドラマ以外にも中井さんと鎌倉のご縁があればお聞かせください。

鎌倉はぼくのルーツなんですよ。大船に松竹撮影所があって、撮影所の真ん前で母の実家が食堂をやっていて、そこで母と父(註:俳優・佐田啓二さん)が出会って、恋に落ちて、結婚した。それが全ての始まりなんです。

へえ!

母方の祖母がやっていた「月ヶ瀬」という食堂を、小津安二郎監督が気に入ってくださって、まるで小津組の食堂みたいになっていたそうです。当時の小津先生の映画を見ていただくとわかるんですけど、原節子さんとか、みなさんシニョンの髪型にしていますよね。あれ、母の髪型なんです。うちの母、益子っていうんですけど、小津先生が「益子みたいな髪型にしてくれ」と言うので、みなさんああいう髪型になったそうです。そのくらい母のことも気に入ってくださったみたいです。

では小津先生がお父さんを引き合わせた?

いえいえ。当時、小津安二郎と言えば松竹の中でも神様みたいな人でしたから、うちの父は口もきけないわけですよ。ましてや、「月ヶ瀬の娘」を小津先生がかわいがっているわけですから、「近寄ったらやばい」みたいなところはあったんじゃないでしょうか。でも好きになってしまったものですから、父は母に会いに行って、「小津先生が来る」と聞いては裏口から出て、そこへ小津先生が入って来るというようなことを、どうも繰り返していたらしいですよ(笑)。

お二人はどんな風に知り合ったんでしょうか。

父も母も、もともとは京都出身なんですよ。それもお互いを引き寄せた縁だったんじゃないかと思います。結婚する前、父は二階堂に住んでいたんですが、鎌倉と故郷を重ね合わせていたところがあるんじゃないかと思います。そうして二人は知り合って、結婚して、姉とぼくが生まれた。だから、「ドラマ以外のご縁」どころか、鎌倉がなければぼくたちは存在してない、というところにたどりついてしまうんです。

運命を感じた『最後から二番目の恋』

では鎌倉が舞台のドラマに出るにあたって思い入れも特別だったのでは?

『最後から二番目の恋』の話をいただいた時に、「これは運命だな」と思いました。来るべくしてここに来たと言うか。2歳半のときに父が亡くなり、お墓は円覚寺にありましたから、北鎌倉に行くことはぼくにとって父に会いに行くことだったんですよ。ことあるごとに北鎌倉に行って、お墓参りをし、父に手を合わせて報告をする。ですから、鎌倉に行くことは何も特別なことではなく、自分達の人生の中で当たり前のことの一つだったんです。

『最後から二番目の恋』長倉和平 役
『最後から二番目の恋』長倉和平 役

それは俳優になられてからということではなくて?

子どもの頃から日常的にですね。やはり父親が少なからず恋しかったんだと思いますよ。いたらうるさいんだと思いますが(笑)、いない人間にとってはやっぱり話をしてみたい、声を聞いてみたい、という気持ちはありますからね。ですから、今までいろんなロケをやりましたけど、このドラマのスペシャル(『最後から二番目の恋 2012年秋』)で円覚寺の中にある弁天堂でロケをしたのは、一番嬉しかったかもしれません。

ああ! お父さんの前で演技をしたということですか。

それも、弁天堂自体が小津先生のお墓の上にあるんです。子どもの頃、親父のお墓参りをしてから小津先生のお墓参りをしたんですが、その時に……。あの、こんなこと言っちゃいけないんでしょうけど、そこの崖をよじのぼると弁天堂なんですよ(笑)。「絶対だめだ!」と言われながら崖を上がって弁天堂に行くのが当時すごく楽しみで。ですから、その場所でのロケというのは、30数年仕事をしてきて初めて小津先生と親父の前で芝居をしたような、ちょっとした緊張と嬉しさがありましたね。

お父さんのお墓も、小津安二郎監督のお墓も円覚寺なんですね。

大船で食堂をやっていた祖母のお墓はもともと京都にあったんですけど、それも円覚寺に改葬しているんです。小津先生と木下(恵介)先生が父と母の仲人なんですが、木下先生のお墓も円覚寺なんですよ。姉の貴惠という名前は木下先生が、ぼくの貴一は小津先生が名付け親ですから、我が家の本当に全てが,今、円覚寺に眠っているようなものです。

たくさんの作品に出演されていますが、『最後から二番目の恋』以前には鎌倉がロケ地の作品はなかったのでしょうか?

『プルメリアの伝説 天国のキッス』という映画で海で撮影したことはありましたが、鎌倉の街中でロケしたのはなかったはずです。20代でこういう話が来て鎌倉と出会っていても、たぶんそこまでの感慨はなかったでしょう。やっぱり50という年を迎えて、こういう作品と出会えたことは、ぼくにとってもすごく大きいことでしたね。

日本の文化の価値を知るには「いざ、鎌倉」

いま「武家の古都・鎌倉」が世界遺産登録の申請をしていることについてお考えをお聞かせください。

中井貴一さん ヨーロッパの文化は石の文化で、日本は木の文化だと思うんです。木の文化は朽ちていく文化で、ヨーロッパの文化は残る文化。維持保存していくことの大変さは、朽ちていくものの方が格段に困難です。ましてや鎌倉は、海が近くにあって潮風による建物の劣化が激しいわけで、みんなが手を加えながら維持していく大変さは計り知れないものがあるとぼくは思うんですよ。

そういうものを加味して考えていくと、日本の文化の守り方ってすごいことなんですよね。コンクリートで固めて保存していることにしてしまう国だってあります。日本人は同じ木材を使って同じ細工を施しながらそれを保って補強していく。その民族的な維持の仕方が持つ価値を、世界遺産がどうこう言う以前に、日本人自身が十分に認めるべきだと思います。世界が鎌倉を取り上げるのが遅すぎ(笑)、とも思いますが、世界に認められることが全てではないわけです。もっと日本人自身がそういうものを理解して愛していける国民になっていくことの方が、ぼくは大事な気がしますね。

本物に触れるというか、鎌倉で実際に建物の中に入ってみるとかそういう体験というのは役に立つかもしれませんね。

小津安二郎監督が、映画のセットの中で、掛け軸にしても茶碗にしても本物を使っていたそうですが、それは本物を使うことで、スクリーンの中で個々の存在感が確実に違って見えるからなんです。幸いにして、日本には文化があって、鎌倉に行けば古いお寺が残っていて、何百年前の本物を目にすることができますよね。それを目にしているだけでも、人間として大切なものがそこに育まれていくんではないかなという気がしますよね。

難しいことは考えなくていいんです。行って「これが五百年前のものかー」って、見ているだけでいい。で、何十年か経って、もう一度訪れた時に、感じ方が変わっていたりすれば、それが大切なような気がします。

いまだから見えてきた日本の魅力を教えてください。

ぼくは世界のいろんな所で仕事しながら、日本男子のDNAの根本はどこかに武士道が流れていると感じます。海外で「日本人はすぐ謝る」って言われますが、その時必ず「俺は強いから謝れる。強くない人間は謝れないんだ」って言います。武士道が持っていた「負けていくものに礼を尽くせ、勝者は敗者に頭を垂れよ」が、日本人の美学です。その感覚が世界からかけ離れていようが関係ない。これは日本人が作り上げた、先祖から代々伝わった文化なんだって。それを欧米化する必要がどこにあるんだってぼくは思います。欧米化しなくても世界で戦える強靭な意識、精神力を持っていることが、日本人の強さだとアピールしていくことが大事ですよね。そのためには、それを育成する教育も必要となってくると思いますが……。

そういうことは海外に行く前に考えていらしたんですか?

海外に行って教わったことがたくさんありますね。他国に渡って日本の良さが分かるということですよね。鎌倉や京都などの話をしていくと、日本のルーツとは?日本人とは?という話にどうしてもなっていくような気がします。これから先に日本が目指すべきは、もちろん経済も必要だけれど、いかに文化の中にある心の裕福さを膨らませていくかということだとぼくは思います。心のふくよかさを持たせる教育を考えて、人間としてどう親が育てていくか、学校教育でどう取り組むかということを、再認識することが大事なんじゃないでしょうか。

鎌倉に行って体験しろ、と。

そうです。「いざ、鎌倉!」です(笑)。

中井貴一さん

中井貴一さんの鎌倉観光ガイド

LESSON 1 目的の場所を決めなくても歩き回るだけで楽しめる

歩く街、鎌倉
歩く街、鎌倉
鎌倉は事前に行く場所を決めなくてもいい街だと思います。歩いていること自体に文化がある。神社があったりお寺があったり。見ると札があって、「今お庭がきれいですよ」などと書いてあって。プラッと入って散策させていただく、みたいな。関東近辺で気軽に行ける街が鎌倉だと思います。ほんとに歩く街だと思います。

若い頃、鎌倉に来るとお金もないのでひたすら歩いていました。彼女を連れて来ても、ひたすら歩く。小町通りのおせんべい屋さんとか、試食させてくれるところがたくさんあるじゃないですか。お腹が減って、試食もらって歩いて、なんかものすごく食べた覚えあるなあ(笑)。お店ごとに食べて歩いた感じ、覚えてます。当時の彼女は疲れちゃったと思いますが、いま思えば、ぼくは父に彼女を見せびらかしていたのかなあと思います。

LESSON 2 いい出会いをきっかけに顔を出したくなる街

成就院のアジサイ
成就院のアジサイ
「成就院が鎌倉で有名なパワースポットだ」と教えられて、ロケに行った時には一人で歩いて成就院まで行って、別に何を成就してくれってわけでもないですけど、お参りしたりしました。もちろん父や小津先生のお墓がある北鎌倉にはこれからも行きますし、ドラマのロケでお世話になった人たちのところにも出かけて行きます。

御霊神社の近くにあるカフェでパンケーキを食べたり、お土産に買ったはずのお菓子を店先でつまんでみたり(笑)。特にドラマがきっかけで知り合った方のお店あたりにはよく出没すると思います。

LESSON 3 地元の素材の鎌倉の味を食べに行こう

鎌倉野菜
鎌倉野菜
食べ物に関していうと、ドラマの中でぼくたちの家のセットのモデルになっている「坂の下カフェ」でつくってもらったロケ弁がおいしかったですね。五穀米が入っていて、普通のロケ弁では考えられないヘルシーさ。だからこってり感に慣れているスタッフには「ちょっとこれあっさりしてない?」という感じだったかもしれませんが(笑)、ぼくたちは「ありがたいなあ」と思いましたね。

ドラマの宣伝番組でお邪魔したら、すごく賑わっていて、長い時は3時間でも待つ人がいるくらいの人気だそうですよ。ぼくはいまの鎌倉のお店についてそんなに詳しくないですが、いろいろありそうなので、もっと知りたいですね。

中井貴一さん

PROFILE/中井貴一(なかい・きいち)

俳優。1961年東京生まれ。父は往年の名優、佐田啓二。大学在学中に映画『連合艦隊』(81)でデビュー。以来、『ビルマの竪琴』(85)、『キネマの天地』(86)などの大作・話題作で好演する一方、テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』シリーズ(TBS系)、大河ドラマ『武田信玄』(NHK)、『Age,35恋しくて』(CX)などに主演。近年は、鎌倉が舞台のドラマ『最後から二番目の恋』、大河ドラマ『平清盛』(2012年)で清盛の養父・忠盛役を演じるなど精力的に取り組んでいる。

2009年、第2回国際ドラマフェスティバルアワード主演男優賞(『風のガーデン』)、2004年、第27回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞(『壬生義士伝』)など多数受賞歴あり。時代劇から現代劇まで、シリアスな役どころからコミカルな役どころまでさりげなく演じきる力量は、日本映画界に必須の存在である。

『サラメシ』(NHK総合)では、独特のユーモアセンスを織り交ぜたナレーションが話題を呼び、また、舞台においても、三谷幸喜作・演出『グッドナイト スリイプタイト』、蜷川幸雄演出『十二人の怒れる男』に出演するなど幅広く活躍中。

2012年、鎌倉市国際親善観光大使就任。

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