リレーエッセイ<鎌倉人>「私の鎌倉」第4回:奥村研一さん

鎌倉に暮らし、鎌倉を愛する「鎌倉人」の生の声をリレー形式でお届けするコーナーです。毎回の執筆者が次の執筆者を紹介していただく型式なので、どんな人が登場するか編集部にも予想がつきません。どうぞお楽しみに。

小町通り
小町通り

『私の鎌倉』と言えば、私の追憶であったり、鎌倉への思い入れなどが頭を過(よ)ぎるのだろうが、思い起こしてみると執り止めがなくなってしまう。そこで、単に、鎌倉のどこが面白いのかと考えてみた。

一つは、『小町通り』にあると言えよう。
鎌倉の商業中心は、古くは『大町四つ角』にあったが、駅前の利点を得て『小町通り』も瀬戸橋(江戸屋)辺りから千度小路(ミカエル幼稚園)辺りまで伸びていった。しかし、江ノ電が二の鳥居前から裏駅(西口)に移ると『鎌倉銀座通り』(現御成通り)に賑わいも移り、さらに『由比ヶ浜通り』へと伸びていった。

と思うと、今度は表駅に西武デパートや東急ストアーが出来ると『小町通り』も活気を取り戻し、おまけに商店街組合が入口に赤い鳥居を建てたところ、八幡宮の参道かと勘違いした観光客が多く通るようになり、今までの近隣店舗も観光コースのようになり、今では殆ど「仲見世」と云った観を呈している。しかし、『小町通り』の店々は手を変え品を変えて目まぐるしく変わっていく。その進化と言うか、活気が“面白い”。

鎌倉の路地
鎌倉の路地

一つには、『路地』にあるのではと思う。
鎌倉は古い町であり、幸いに戦災にも遭わなかったせいで、古い道筋も街区も変わることなく、大正、昭和の時代の『路地』が依然として生き続けている。中央線を引いた道路は少なく、住宅地内の道路にあっては、建築基準法に適合しない道路も少なくない。『路地』とは、ある人に言わせると「傘を差してスレ違えるほどの路」を言うそうである。何故かそこに『路地』を感じさせられる。それ故か、『路地』にはヒューマンスケールがあり、利用する人々に人間味を感じる。路を通る人が生垣の下の蕗(つわぶき)を差して、“これは何って言う花ですか”と気軽に家の人に尋ねたりしているのが“面白い”。

また一つには、『海岸』にある。
私の子供の頃には134号線はなく、一帯が砂丘と松林だった。そこで海パンに履き替えて、手荷物もそこに置いて、海に飛び込んでいく。夜になると海岸は遊技場に変わる。200円程度のお小遣いを貰って射撃や金魚すくいをやる。

少し大きくなった頃は、太陽族の時代だった。ナンパ山と云っていた漁師の網干し場にパラソルを立てて、トランジスターラジオのボリュームを上げて、グンカンドリよろしくナンパする。それでも時代によって『海岸』の光景は変わる。セパレーツからビキニに、フリスビーからサーブボードに、おにぎりからバーベキューに、ビニールシートからビーチテントに、中にはテーブルセットに椰子の木の鉢物まで持ち込む者もいる。

しかし、『海岸』は夏ばかりではない。フルシーズンなのである。老若男女のグループをはじめ、カップルや園児たち、ヨットやサーフィン、犬の散歩やビーチコーミング、それに砂山や砂に書いたラブレター等々と色々な光景が展開するのが“面白い”。

鎌倉の海岸
鎌倉の海岸(老人と海とワイン)

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