武家の古都・鎌倉の歩き方(巻頭インタビュー)自然に感じるままに振る舞えば、それが鎌倉のお作法。第三回 吉田茂穗さん

鎌倉のまちの中心と言える鶴岡八幡宮の宮司様を「さん」づけで、親しげに書いてしまうことがためらわれてしまいます。けれども実際にお会いした宮司は、とても優しく気さくなお人柄で、緊張気味だったスタッフも話が弾み予定した時間を大幅に延長してしまいました。鎌倉の精神的な部分、日本文化にまで話題は広く深く及びました(鶴岡八幡宮斎館にて)。

まちづくりの中心としての鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮といえば何と言っても鎌倉の中心だと思いますが、その宮司さんのお立場で鎌倉の魅力をお聞かせください。

鶴岡八幡宮をまちの中心に、また、武士の行動の核心にすえ、鎌倉のまちづくりが始まりました。以来、三方が山、そして南が海に開けた鎌倉の自然環境や静けさをいかに守るかという努力をみんながずっと積み重ねてきて、今もその良さをとどめているのだと思います。2013年の登録をめざしている世界遺産というのは、これからもこの武家の古都の佇まいを残して行こう、守って行く努力をしようということではないかと思います。

中でもわたくしは、古都を守るというのは「山・海・道」を守ることではないかと考えています。山を守ると言いますと、当然その懐のお寺や神社を守ることであります。問題は山と海の中間につながって行く道はどうかということです。道を守るということは、ただ歩くところを守るということだけではなくて、その周辺の家並(やなみ)も守らなければいけない。都市圏では山、海、道といったところはみんな崩れているわけですよね。それを残してきたことが鎌倉の魅力になっているのだろうと思います。

世界遺産ともなると、海外からの観光客も増えると思いますが、宮司さんとして、お参りの心得のようなアドバイスはありますか?

鶴岡八幡宮外国の方のほうが良くご存じのようです。わたくしも、海外に行くことが多いんですが、行けば必ず「鎌倉の、あなたの所に行った」という方に会います。2年くらい前もアメリカのワシントンの教会で「八幡様の神主さんだ」と抱きついてきた方がいらして、財布の中から写真を出して見せてくれると、なるほど舞殿を背にして撮っておられる。そして鎌倉の何が気に入ったか尋ねると、自然の豊かさや日本建築に惹かれたという。それを聞いて、良く知ってらっしゃる方が多いという感覚をわたくしは持ちました。

逆に、それに比べて自分たちはどうだろうかと考えさせられます。世界遺産登録されているイタリアのシエナなどは車を置いて相当歩かなきゃならない。我々は門のそばまで車で行く生活に慣れていますが、本当は離れたところに車を置いてとぼとぼ行くような見方をするべきではないかと改めて気づかされます。住み方にしても、向こうの方は不便になることを当たり前のように承知の上で、なおかつそれが大切だという意識がありますよね。そうした時に鎌倉はどうだろうかと。

日本人のほうがありがたみがわかっていないかもしれませんね。

はい。鎌倉はもっと精神的なものを取り上げて大事にする必要があるように思います。海外の人たちはそれを期待しているでしょうし、それが感じとれなくなったら鎌倉の価値が失われてしまいます。わざわざ日本の鎌倉に来る方は、何か求めているものがあって「見たい、知りたい」という意識を持っていらっしゃる。だから鎌倉の人はどうしていいかわからない時はそういう外国の方や、鎌倉の外の人に聞けばヒントがもらえると、わたくしはむしろそんなふうに思います。

心で感じるのが鎌倉のお作法

1月は初詣で賑わいますが、鶴岡八幡宮ならではのお作法などあれば、教えてください。

吉田茂穗さん一神教の神様と違って、神社ではどういう神様が祀られているか考えながらお参りする人はあまりいません。神道の場合、神様そのものに向き合うのではなく、神様が鎮まっている「神社という施設」の中に身を置いて、何かを感じることを通して広まった宗教です。ですから自然環境とかそういうものが大事なんですよね。これはお寺でも同じだと思います。

何にもないところで──本来ならもっと鬱蒼としていればいいんでしょうけれども──そういう中で自然を感じ、神を感じ、その自然に抱かれて自分がある、存在するということを感じとる宗教でなきゃいけないという言い方を我々はするんです。信じる信じないじゃなくて感じとる。鎮守の森ということをうるさく言うのはそういう理由です。

感じた時に人はどうするかというと、威儀を正して自然に頭が下がります。ですから「お作法」と言っても、便宜的に「ここへ来たら立ち止まって二礼二拍手一礼」とか言いますけれども、知らず知らずに頭が下がるっていうことが本来大切です。だから、どこで頭を下げなさいと言うよりも、自然に頭が下がるような状況や佇まいを我々は大切にしなきゃいけないのではないかと思います。

鎌倉を紹介したテレビ番組の中で、学校帰りの小学生の男の子達が近所の小さな神社の鳥居の前で手を合わせていたのが印象的でした。

手水舎ここの境内でもそうですよ。自転車で走っておられて、ちょうど正面においでになったら降りて頭を下げて、また向こうへ横切って行かれる。結構いらっしゃいますね。バスで通勤なさる方も、バスの中から八幡様の前で頭を下げていらっしゃる。ここへ来たら頭を下げなさいとは運転手さんも言いません。でもやっぱりそういう風になるんですね。鶴岡八幡宮は初詣に参詣される方もとても礼儀正しいと聞きます。神奈川県警の本部長さんが「鶴岡八幡宮は整然と並ぶ」とおっしゃる。いずまいを正すということはあるのでしょうね。

外国人の心を打つ御鎮座記念祭の魅力

年末に御鎮座記念祭という儀式があるそうですね。秘事と聞きましたが、うかがってもよろしいですか?

八幡宮が鎮座したことを記念して、12月16日、宮中に伝わる御神楽を境内で行います。もともとは秘中の秘と言いますか、神様と奉仕する神主、そして巫女が対面して、神様のお気持ちをお慰めするという神事です。非常に穏やかな歌を歌いながら、自然と一体となった中で繰り広げられる行事です。最後に神職が舞う「其駒(そのこま)」など、「馬たちが水を欲しがるから水をあげましょう、草を欲しがるから草をあげましょう」というような、何気ない自然の状況をうたったものなんですよ。

御鎮座祭もともとは昼夜を徹して行われましたが、今は午後5時から7時くらいまで粛々ととりおこないます。暗黙の了解で秘事になっていたわけですが、建物の中でやるわけではないので自由にご覧いただけます。現代の我々の生活にないスローテンポで、そういうのが心を打つんでしょうか、たまたまおいでになった方がご覧になって「良かったから」というので毎年繰り返しておいでになるという話を、最近よく聞きます。我々もストラスブールまで行って奉納したり、そういったことをあちらこちらでやっています。

※御鎮座記念祭:鶴岡八幡宮は当初、石段から上の社殿はなく、静御前が舞を舞った1186年頃は現在の若宮から舞殿のあたりに御本殿がありました。その5年後、建久2年(1191年)、小町大路から火事が出て南風にあおられて御本殿が全焼。『吾妻鏡』には源頼朝公がひどく衝撃を受けて涙を流したとあります。その後、頼朝公は直ちに復興に取りかかり、現在に至る形に整えました。その鎮座を記念して京都から宮中の楽人たちを招き行ったものが御鎮座記念祭の御神楽の始まり。『吾妻鏡』には、その時の様子を表して「神感の瑞相あり」と書かれています。以来その精神を継承して行われています。

ストラスブールというのはどういうきっかけで行かれたのでしょうか?

フランスの国営放送局のスタッフが取材に来たことがありまして、お互いの都合が合わず夜の八時ごろ境内を案内してお参りして御神楽をご覧になったんです。そうしましたら、独特の雰囲気に彼らは金縛りにあったような状態で体が動かなくなってしまいました。そして「これを全部持ってきて、フランスでやってくれないか」と言うんです。全部持って行けるわけないんですけどね(笑)。我々ができるのは御神楽ですから、それを持って行きましょうということになって、神職、巫女さんなど鎌倉から30人くらいで参りました。それは世界の宗教がストラスブールで一堂に会して、世界平和を祈るというシンポジウムと祭りの企画だったんです。

公園の中に祭場をしつらえて奉納をしたところ、1000人くらいの参加者がそれこそ金縛りで立ち上がれなくなってしまい、全てが終わって帰るのに2時間かかりました。我々のお祭りは終わると土器(かわらけ)でお神酒を配るのですが、どうぞとすすめても椅子から立てないんです。恐らく向こうにない文化にびっくりしたんでしょうね。そんなことがありました。

何が外国の人たちをびっくりさせたのでしょうか?

お参りの前に手を清める日本の文化が外国と違うのは、結局、時間の継続して行く文化だということです。木であり紙であり、時間とともに変化するもの、うつろいを感じ取って楽しむものなんです。西洋は石の文化で、例えばミケランジェロの大理石の像に、その時代の美を閉じ込めて永遠に不滅のまま未来につないで行こうとしますが、そこに大きな違いがあります。それからもう一つ日本は、原点に帰る文化なんです。伊勢の御遷宮だとかお水取りだとか京都の祇園祭などは繰り返し繰り返し行うわけですよね。一年やってまた一年もとへ戻って、螺旋状につながって続いていこうとする。伊勢神宮は二十年おきに新しいお宮を建て替えているので世界遺産には選ばれません。でもそれを千年以上繰り返し継続していることこそが日本文化の価値で、これは西洋の方の発想にはないんでしょうね。

東大寺のお水取りも戦中に灯火管制の時にも見えないようにして継続して、1300年くらい1年も絶えたことがないんです。わたくしはお水取りの行事に出て、感動しました。お堂の中で、八幡宮で言えば御本殿で松明を投げつけるようなことをするわけですよ。「火事になりませんか」と言ったらね、お坊さんは「火事になったらまた建てりゃいいですから」って。江戸時代の建物を「また建てりゃいいんですよ、それよりもその行事を絶やさずに今年やって、来年もやる、これを絶やさないってことが大事なんだ」と。そういう風に聞きますと、まさに歴史の中に身を置いていると感銘を受けました。関西の人はお水取りが終わったら春が来ると言うんです。わたくしは、ここまでやらなければ春は呼び寄せられないのかと感じとりましたね。

武家の古都の鎌倉も、日本文化の中心地です。鶴岡八幡宮のことで申しますと、ここは観光の中心でもありますが、やはり鎌倉というまちの中心であり、何よりも、日本人の精神的な支えとなる神社ではないかと思います。そうあるのが、市民をはじめ人々の心の安寧につながっている、そうあり続けなければならないんだ。というふうに、わたくし自身、努力をしなきゃいけないと思っております。

吉田茂穗さんの鎌倉観光ガイド

LESSON 1 谷戸の道を伝って寺社にたどりつく

谷戸の道
谷戸の道
鎌倉のまちの地形は、100mもいかない程度の山が三方にあって、そこから手の指を伸ばしたみたいに山と谷が走っています。昔からこの谷に寄り添うように人が住んでいたわけです。扇ヶ谷(おうぎがやつ)など今もそうですけれど、そういうところを見て谷戸や切り通しといったところを、ゆっくり歩いて楽しんでいただくのがいいかもわかりませんね。入っていくとその隅にお寺なんかがある。そういういわゆる古都の落ち着いた佇まいが、本当の鎌倉を知るというところではないでしょうか。ちょっと歩かなければなりませんけれど、鎌倉は車で動くところじゃないですよ。やっぱり歩いて楽しまれるというのが一番良いでしょう。

LESSON 2 鎌倉の冬は海

鎌倉の冬は海
鎌倉の海
鎌倉の冬は海ですよ。波も穏やかですし、人も少ないですし。海で波の音を聞きながら、やっぱりああここは東京でも横浜でもないなと思いますよ。おそらく鎌倉は、年に数回いらっしゃるっていう方が圧倒的に多いわけですよね。それは、自然を含め社寺仏閣そういったところに足を運ばれるわけでしょうし、そういったところにおいでになれば、大都市の喧噪の中で忙しくしていらっしゃる方が違ったものを感じ取るようなところがあって、だから、何回もおいでになるんでしょうね。若い方でもそういうことをおっしゃいますからね。

冬は海がいいと思います。めったに遠い景色は見えません。たまに富士山がかすんで見えるようなこともありますけれども。

LESSON 3 長い参道を歩いてみよう

長い参道
長い参道
お参りをするということで言うと、本当はすぐに八幡宮があってはダメなんです。遠くから歩いて心の準備をして、良い加減に歩いたところに手を清めるところがあって、そこで手を清めて、そうして初めていざお参りをという流れ。そういう、距離をおきながらだんだんに心の準備をして行くことが大切です。

お寺もそうだと思います。参道が長いのはやはり、ただ単に長いだけではなく、気持ちを整理しながら行くという部分もあるわけですよね。ぜひご自分の足でゆっくり歩いてみてください。

吉田茂穗さん

PROFILE/吉田茂穗(よしだ・しげほ)

1942年(昭和17年)4月15日生まれ、山口県出身。
1966年、國學院大學神道学専攻科修了。
1997年より鶴岡八幡宮宮司に。

2000年、フランス(ストラスブール)にて御神楽を奉仕。各宗教・民族における平和のシンポジウムにて、神道への理解を説き、大会を纏(まと)める。2001年、イギリス(ロンドン)にて流鏑馬神事奉仕。日英両国皇太子の案内役を務め、ロンドンシティ大学にて講演を行う。

2003年より鶴岡八幡宮御社殿修理特別事業として、本殿・舞殿等の諸施設を改修。2006年、神奈川県宗教連盟バチカン訪問にて法王との交流を行う。同年、東大寺にて重源上人の800年御遠忌御神楽を奉仕。2009年、アメリカ・ワシントンDC、メリーランド州立大学、ジョージワシントン大学にて神道講演。2010年には北京外国語大学でも神道講演を行うなど、国際的交流に積極的に関わる。

2004年より神奈川県神社庁 庁長、2010年より、伊勢神宮式年遷宮奉賛会 監事、神社本庁 常務理事ほか歴任。

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